大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第三小法廷 平成9年(オ)306号 判決

神奈川県逗子市久木五丁目四番三二号

上告人

龍村晋

右訴訟代理人弁護士

米林和吉

保田眞紀子

京都市中京区壬生森町二九番地

被上告人

株式会社 龍村美術織物

右代表者代表取締役

龍村元

同所

被上告人

有限会社 龍村織寳本社

右代表者代表取締役

龍村元

右両名訴訟代理人弁護士

野嶋董

土肥原光圀

龍村全

右当事者間の大阪高等裁判所平成五年(ネ)第四九五号、第二一八五号不正競争行為差止及び損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件について、同裁判所が平成八年一一月一三日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人米林和吉、同保田眞紀子の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 元原利文 裁判官 千種秀夫 裁判官 金谷利廣)

(平成九年(オ)第三〇六号 上告人 龍村晋)

上告代理人米林和吉、同保田眞紀子の上告理由

原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな経験則違反、審理不尽・理由不備の違法があり、また旧不正競争防止法第六条の解釈適用を誤った判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背があり、破棄を免れない。

(以下、原判決の表示に従い、上告人・控訴人・附帯被控訴人を「被告」、被上告人・被控訴人・附帯控訴人 株式会社龍村美術織物を「原告美術織物」、被上告人・被控訴人・附帯控訴人 有限会社龍村織寳本社を「原告龍村織寳本社」といい、右原告両名を「原告ら」という。)

第一、原告第一ないし第七製品の模様の周知性について

一、原判決は、原告第一ないし第三製品の模様について、遅くとも昭和四〇年代後半頃までには、帯地等を扱う取引者や需要者の間に、右模様のある製品をみれば、右製品は原告美術織物の帯地であるとの認識が広く生じるようになり、右模様は、そのころまでに右原告の帯地であることを示す商品表示として、出所表示機能を取得したものと認めるのが相当であると認定し、その根拠として、

右原告が昭和三〇年一二月の設立当初から右製品の製造を開始し、現在まで右製品の模様や製法を変えていないこと、

初代平蔵が、昭和一三年に著名になっていたところ昭和三三年秋に芸術展が開催されたことから更に著名になったこと、

右原告が初代平蔵の技術と業績を承継する帯地メーカーとして著名であり、右製品が右原告の帯の中でも人気の高い製品として一流百貨店の特別コーナー等で販売されてきたこと、

甲第五五、二三、二五、二六の各号証に記事が記載されていること、

をそれぞれ挙げている。

二、しかしながら、原告第一ないし第三製品の模様に周知性を認めた原判決の右判断は、経験則に著しく違背し、審理不尽・理由不備の違法がある。

原判決の右に述べた認定の各根拠を個別に精査してみるに、

(1) 右原告が右製品を昭和三〇年一二月の設立当初から製造開始したこと、また、昭和三〇年一二月から現在まで右各製品の模様や製法を変えていないこと、を立証する証拠は見当たらない。

(2) 初代平蔵が昭和一三年に著名になっていたところ昭和三三年秋に更に著名になったことは被告も認めるところであるが、

初代平蔵が著名であることと、右原告の右製品の模様が周知であることとは、直接関係がない。

また、右原告が初代平蔵の技術と業績を承継する帯地メーカーとして著名であったとしても、このことと、その製造する製品の模様が周知になることとは、直ちに結びつかない。

仮に、著名な初代平蔵の技術と業績を承継する帯地メーカーとして右原告が著名であることと、その製造する製品の模様が周知になることとが結びつくならば、右原告の製造する製品の模様のすべてが周知であるという明らかに非常識で不当な結論となる。

右原告の製造する『個々の製品』の『個々の模様』が、どの程度展示広告され、どの程度販売されたのか、を具体的に検討されなければならない。

(3) 原判決は、右製品が右原告の帯の中でも人気の高い製品として一流百貨店の特別コーナー等で販売されてきたことを周知性ありと認定した一根拠としている。しかし、甲第五一号証(右原告の従業員小野修一の陳述書)によれば、原判決が右各模様が周知になったと認定した昭和四〇年後半までに一流百貨店で販売されたのは、毎年春秋の二回東京・大阪・京都の高島屋での展示会のみであり、常設のコーナーができたのはようやく昭和五二年になってからのことである。

原審の右認定は、審理不尽の結果の誤認と言わざるを得ない。

また右原告の帯の中でどんなに人気が高くても、市場に出回り顧客に接する数えきれない程多くの帯の中で人気が高いことにならないし、年二回の右展示会において原告第一ないし第三製品が展示されていたという証拠、右展示会において原告製品に接した顧客の数がどの程度であったかの証拠、および右第一ないし第三製品が継続的に展示されてきたという証拠はいずれも無い。

(4) 更に原判決は、書籍に記事等が掲載されていることを根拠としているが、甲第二三号証においては、「・・・竜村さんなんかと、違いまっさかい」「・・・竜村さんも近いおすさかい・・」「・・・竜村はんの帯なんか・・・」と会話のなかで紹介されただけである。甲第二四号証は、龍村の帯を紹介している一企業の社内誌にすぎないし、その発行部数は不明である。また甲第二五号証および同二六号証は、「龍村の帯」を紹介した文章であって、いずれも発行部数は不明である。

これらのいずれの証拠も「竜村の帯が高品質で有名である」ことは示しているものの、右製品の「各個々の模様」が示され説明されているわけではない。

しかもいずれも「竜村の帯」の表現であって「右原告の帯」の表現ではなく、「竜村」が右原告を示すものと確定しえない。

なお、甲第五五号証には右第一製品の帯の写真が掲載されているが、実話出版発行の右書物が販売された地域も販売数も不明であり、右写真のみをもって右第一製品の模様が周知であると認めることはできない。

前述した通り、帯のメーカーとして「龍村」が著名であることは上告人も認めるところである。しかし、帯のメーカーとして「龍村」がいかに著名であっても、このことから即、右各製品の「模様」が「右原告の製品表示として周知」であるとの帰結は導けないのである。

(5) 特に、右第三製品の模様は、古来より数多く使用された牡丹と唐草をモチーフにした模様と非常に類似しており、また右模様と類似する帯が数多く存在し、帯を取扱う業者にさえ、右原告の帯と第三者の帯の区別がついていない。換言すれば、帯地を取扱う取引者に原告第三製品の帯をみても右帯が右原告の帯であるとの認識を生じていないのである(乙第三九号証)。

以上要するに原判決は、初代平蔵が著名であったこと、右原告が初代平蔵の承継者であって帯の龍村として小説や記事になるほどの評価を得ているということをもって、右原告の右製品の各個々の模様を具体的に検討することもなく(もっとも第一製品については甲第五五号証に写真が掲載されてはいるが)安易にその周知性を認めたのであって、右周知性の判断は経験則に著しく違背し、審理不尽・理由不備の違法があると言わざるを得ない。

三、原判決は原告第四ないし第七製品の模様について、遅くとも昭和四〇年代後半頃までには、原告第四ないし第七製品のような裂地やこれを使用した商品(加工品)を扱う取引者や需要者間に、原告第四ないし第七製品の模様をみれば、右製品は原告美術織物製のものであるとの認識が広く生じるようになり、右模様はそのころまでに右原告製品(裂地およびその加工品)であることを示す商品表示として、出所表示機能を取得していたものと認めるのが相当であると認定し、その根拠として、

(1)右原告の裂地が遅くとも昭和三〇年代終わりまでには、その種の製品を取扱う取引者(加工業者)や一般需要者にも「龍村裂」として広く知られるようになったこと、

(2)原告第七製品(の中柄)は原告の設立当初から製造販売し、最も人気のある銘柄の一つであり、同第五製品は昭和三八年から、同第六製品は昭和四一年から各々製造販売し、人気はともに中の上であり、同第四製品は昭和三二年頃から製造販売し、人気は中位であること、

(3)甲第二三号証の小説に取り上げられていること、

をそれぞれ挙げている。

四、しかしながら、原告第四ないし第七製品の模様に周知性を認めた右原判決の判断は経験則に著しく違背し、審理不尽・理由不備の違法がある。

原判決の認定の根拠を個別に精査してみるに、

(1) 右原告の裂地が昭和三〇年代終わりまでに取引者・一般需要者に「龍村裂」として広く知られるようになったことを認めるに足る証拠は見当たらない。

(2) 右原告製品の製造販売開始時および人気の程度を認め得る証拠は、右原告の代表者もしくは従業員の証言以外に見当たらない。そもそも右原告の代表者もしくは従業員の証言は主張と同視すべきものであって証拠価値は極めて低いと評価すべきであるし、また、右証言においての人気の程度も、市場に出回っている全裂地のなかでの人気の程度ではなく、右原告の取扱う裂地においての人気にすぎず、この点をもって、周知性の判断をするのは妥当ではない。

(3) 甲第二三号証には「竜村が」正倉院裂や古代裂の写し織りをしているとの文章が記載されているのみであって、「右原告が」裂地のメーカーとして著名であることも、「龍村裂」として「右原告製造の裂地が」著名になったことも記載されていないし、右製品の各個々の模様が示されているわけではない。

正倉院裂や古代裂は数多く存在し、龍村がその複製しているからといって、正倉院裂等の模様であれば、全て龍村の製品であると認めることはできない。

「個々の模様」について具体的に「右原告が」出所表示機能を取得したが否かが判断されなければならないのである。

(4) 原判決は、初代平蔵が著名であったこと、右原告が初代平蔵の承継者であって帯の龍村として小説や記事になるほどの評価を得ているという、余りに強い観念に誤導されてか、右原告が正倉院裂や古代裂の写し織りをしていることをもって、右原告の代表者や従業員の証言を過大に評価し、原告第四ないし第七製品の各個々の模様を具体的に検討することもなく、安易にその周知性を認めたのであって、右周知性の判断は経験則に著しく違背し、審理不尽・理由不備の違法があると言わざるを得ない。

五、ところで、原判決が不正競争行為の認定につき採用した証拠のうち、原告製品の模様の「周知性」に関するものは、前述甲第二三、二五、二六、五五号証の他、次のとおりと思料される。

〈1〉 甲第三五号証 雑誌「週刊新潮」

〈2〉 甲第三六号証 小説 三島由紀夫著「暁の寺」

〈3〉 甲第三七号証 雑誌「正倉院裂・名物裂」

〈4〉 甲第四〇号証 雑誌「皇室御用達・日本の特選品」

〈5〉 甲第四一号証 雑誌「宮内庁御用達」

〈6〉 甲第四二号証 雑誌「愛の伝達」

〈7〉 甲第四五号証 カタログ「タカシマヤのバラ」

〈8〉 甲第六〇号証 パンフレット「タカシマヤ五月ノート」

〈9〉 甲第八二号証 雑誌「FRAU」

〈10〉 甲第八三号証 書籍「皇室に愛された名品・名店」

〈11〉 甲第五一号証 陳述書(小野修一作成)

〈12〉 甲第五三号証 陳述書(小野修一作成)

〈13〉 甲第五四号証 陳述書(小薮昭作成)

〈14〉 甲第六五号証の二 陳述書(龍村元作成)

〈15〉 甲第七六号証 陳述書(細野敏弘作成)

〈16〉 甲第七七号証 陳述書(上宮敬一作成)

〈17〉 甲第七八号証 陳述書(宇津木守昭作成)

〈18〉 甲第八七号証 陳述書(細野敏弘作成)

〈19〉 甲第八八号証 陳述書(樹他道雄作成)

〈20〉 証人 小野修一の証言

〈21〉 証人 細野敏弘の証言

〈22〉 証人 宇津木守昭の証言

〈23〉 原告美術織物の代表者龍村元の供述

以下これらの証拠を精査してみる。

(1) 〈1〉~〈10〉の証拠には次の事実が記載されている

〈1〉には、外国の王女が竜村の織物地で洋服を作ることが記載されている。

〈2〉には、「龍村から正倉院の写しの布地を取り寄せ・・・」の文章がある。

〈3〉には原告美術織物が龍村元を中心として名物裂を製作していること、「鹿文有栖川錦」「山羊花卉文錦」「天平双華文錦」の各模様がどのようなものであるか、および初代平蔵のおいたちと業績が書かれている

〈4〉には、原告美術織物が皇室ヘタペストリー・カーテン地・椅子地・洋服地・革地を納品したことが書かれている。

〈5〉には、「大牡丹印金錦」「名物有栖川錦」の模様がどのようなものであるか、および原告美術織物の業績が書かれている。

〈6〉には、原告美術織物の紹介がされており、帯は美術作品の域に達していることが記載されている。

〈7〉には、「大牡丹印金錦」の模様がどのようなものか記載されているが、いつ配布されたか不明である。

〈8〉には、原告第一製品の写真とともに平成二年五月に日本橋高島屋で原告第一製品その他の製品が展示販売されていることが記載されている。

〈9〉には、美智子皇后が原告第一製品の帯をしめた写真と右製品が右原告の定番商品となっていることが記載されている。

〈10〉には、原告第三製品の写真と右原告が限りない芸術性を追い求めていることが記載されている。

以上〈1〉~〈10〉の書証を総合しても、初代平蔵もしくは原告美術織物には古代裂・名物裂の復興に功績があったこと、帯の製造業者として「龍村」は有名であることおよび「帯の龍村」が「川島織物」と並び称されていることは充分に認められるものの、原告製品第一ないし第七の各模様が、原告美術織物の商品たることを示す表示として認められるほどに周知著名であったことを認めるに足る事実を見出すことは不可能である。

ちなみに、〈1〉~〈10〉の書証は、いずれも昭和五二年以降の発行のものである。

(2) また、〈11〉~〈23〉の証拠は、〈13〉および〈16〉を除きいずれも原告本人の主張の繰り返し以上の証拠価値を認めることは妥当でなく、かりに幾分かの証明力を認めうるとしても、周知性を認めうるだけの事実は見出し得ない。

すなわち、小野・細野・宇津木各証人および樹田は、原告らの従業員であるのだから、陳述書を作成し証言をするに当っては、原告らの帳簿・記録等全ての資料を検索し、具体的に詳細な資料を添付して周知性を立証するのに必要な販売実績を記述し証言し得たはずであった。しかるに〈10〉の陳述書では小野証人が「原告美術織物の年商は約二〇〇億円である」と述べ(甲第三八号証によれば昭和五三年四月末の右原告の年間売上は金四六億円であるのに。)「裂地を使用した物品の年商は約五億円であり」「裂地のままでの年商は約一億円である。」と述べたのみで、具体的販売実績は全く示していない。何故、小野証人は正確な具体的販売実績を記載しなかったのであろうか。周知性を立証するには不充分な数字であったから書かなかったと推測し得るのである。

また、細野証人は原告第四製品を「大体年に一〇〇から一五〇メーターぐらい」販売している。同第五製品を「大体年に七、八〇〇メーターぐらい裂地を消化している」、同第六製品の一年間の消化数量を「六百か七百ぐらいだと思う」、同第七製品目録を「大体一〇〇〇メーター前後だと思う」と何ら客観的根拠の伴わない証言をしたに止まり、宇津木証人も何ら客観的根拠の伴わない「威毛で年間一〇〇本でございます。千代の冠で年間七〇本、大牡丹印金で年間三〇本と思います。」との証言をしたにすぎない。何故、右証人らは具体的販売実績を客観的根拠を提示して証言しなかったのであろうか。周知性を立証するには不充分な数字であると自ら認めたからと推測せざるを得ない。

なお、〈13〉は、右原告の取引先である日本橋高島屋の従業員の陳述書であるが、原告の製品第一ないし第三の模様についての平成元年六月付陳述書であり、原判決が周知性を認定した昭和四〇年代後半ころの状況ではないし、「販売点数はそれ程多いわけではない」として具体的数も記載されてはいない。

〈16〉は、右原告が加入していると思われる西陣織工業組合に勤務していた者の平成四年六月付の陳述書であり、西陣織会館での展示会に出展された右原告の製品の記載であるが、原判決が周知性を認定した昭和四〇年代後半ころの状況の記載ではない。

(3) 原告本人と同視し得る右証人らの「よく知られている」「多数の人の眼にとまり早くから知られるようになっている」との単なる主張もしくは意見は、著名性の証拠とすべきでないことは当然である。

自己の製品にかかる商品の販売数や金額を「思う」と表現したあいまいな自らの証言や「著名である」という自らの主張や意見では、その商品の表示の周知著名性が立証されたと評価できないことは言うまでもないであろう。

以上のとおり右各証拠を精査しても原告の製品の模様が周知性を取得したことを認めることはできず、原判決には審理不尽・理由不備の違法があると言わざるを得ない。

第二、原告第一ないし第七製品の模様の出所表示機能について

原判決は、原告第一ないし第七製品の模様は、相対的にみて特異性を有しており、出所表示機能を取得したと認定しているが、右各模様が特異性を有しているとした点において著しい経験則違反を犯し、審理不尽の違法があると言うべきである。

右各模様は、むしろ、いずれも特異性がないと言うべきである。

第三、明示の承諾(乙一の合意=本件合意)について

一、乙第一号証は、他の不正競業事件ではおそらく滅多に見ることのできない、本件に特殊・特別・固有な書証である。

本件の特色、すなわち実体的には単なる同業法人企業間の争いではなくして、実の兄弟、それも共通の父親を互いにその事業の始祖と仰ぐ兄弟の間の争いである事件固有の経緯と特色を文書でもって表現している、その意味で本事件随一と言うべき書証である。

「本書証が語りかけている『合意』の成否、並びにその意味と意義如何?」の審理こそ、本事件では最も重要な作業であったと言って過言ではない。

右の合意について、遺憾ながら、原判決は、その八六頁の末行で「被告主張のような合意が確定的に成立したとは断じ難い。」と判示した。

れっきとした書証が存在する場合には、少なくとも成立自体は認めるのが常識で経験則にかなうところであるのに、有効無効や撤回取消の問題に踏み込まずに、その前の段階で、本件合意の主張、従ってまた乙一号証そのものを早々に切り捨ててしまったのである。

原判決のこの判示は、〈1〉 被告の主張、すなわち被告の主張する本件合意の法律的意義の評価を誤り、本件合意の本件訴訟上における法的な意味(=単なる許諾の合意)を判決文上に正しく表示せずかえって本件合意の内容を不必要に詳細に、すなわちその成否の判断の場面では限定的に狭く作用するように規定して表示したものをもって、右に言う「被告主張のような合意」であるとする誤りを犯し、〈2〉「確定的に成立したとは断じ難い」との、成立を否定する際のいわば極限的表現でもって、本件合意はいまだ成立したとは認定できないとしたものである。

この原審の判示には、〈1〉の点で法令適用上の誤り、〈2〉の点で著しい経験則違背と審理不尽、理由不備・理由そごがあり、この違法が判決に影響を及ぼしたことは明らかである。

二、原判決の、本件合意に基づき被告が主張した抗弁の法的意味についての、無理解と誤表示

1、乙一号証とその示す合意の意義について、原審は、第一審に比較すれば、被告の主張をより正確に理解し、左記のとおり、原判決の事実の摘示を大幅に変更して(変更部分は{ }内)、被告の本件合意についての抗弁を整理して示した(原判決五〇頁以下・第三の1の(一))。

被告は、昭和二五年、兄弟である訴外謙、龍村徳及び{龍村元とは龍村織物株式会社の再建をめぐって意見を異にし所期の計画を全うできなかったので、東京にてそれなりに龍村家の事業を継続させるために袂を別たったが}、自らも初代平蔵の業績を承継するものとして、昭和二五年一二月二九日、「龍村の織物」の製造販売会社として龍村商工株式会社を設立した。その後、被告は、販売部門を独立させるため、昭和四〇年七月二七日に株式会社タツムラを、昭和四五年四月二〇日に株式会社龍村織宝を設立し、昭和四八年二月一三日には有限会社龍村織物を設立するなどして織物の事業を展開してきた。そして、被告は、昭和二六年四月一日、初代平蔵の承認のもと、訴外謙との間で、「手織りによる製作する高級な帯・帯地を中心とする美術織物の製造・販売は訴外謙において行い、動力織機により製作する織物の製造・販売は被告において行う。」旨の{当時経営危機に陥っていた龍村家の事業再興を目的とする事業分担の取決め}(以下「本件合意」という。)をした。同月二日龍村徳もこれに同意している。

{本件合意は、初代平蔵の後継者である訴外謙及び被告との間で初代平蔵の事業を絶やすことなく継承発展させるためになされたものであり、具体的には初代平蔵及び訴外謙ないし龍村織物株式会社が創作製造したすべての商品のすべての模様について、訴外謙(二男)、被告(三男)、龍村徳(四男)の各々が使用してその製品を販売できるものの、特に販売先の中心であった高島屋への製品につき、訴外謙が手織りによる高級な美術織物を担当し、被告が機械織りによる大量生産品を担当するというものである。龍村元(六男)は、本件合意の当時二七歳であって教職についており、初代平蔵の事業には全く関与しておらず、本件合意成立の経緯を知り得ない立場にあったが、昭和二八年ころから家業を手伝うようになり、訴外謙や龍村徳が本件合意に基づき初代平蔵の事業を承継するために昭和二九年三月に設立した有限会社龍村美術織物(原告美術織物の前身)や原告らに深く関与している者であり、本件合意に拘束されるものである。被告は、本件合意に基づいて被告第一ないし第七製品を製造販売しているものであり、被告の右製造販売行為は、正当な行為である。} 以上

2、右のとおり原判決は、本件合意をして「事業分割の和解契約」と規定した一審判決よりは、本件合意の意義についてかなり正確に把握し、詳細かつ具体的に判示した。

にもかかわらず原判決は、結局は、「被告主張のような合意が『確定的に成立した』とは『断じがたい』」との、いかにも味のわるい表現でもって、本件合意の成立それ自体を否定した。

一審判決におけると異なり、この書証の存在自体については疑問を投げかけてはいないのに、この書証に現実に文字で表現されている合意の(効力ではなくして)「成立」自体まで否定するに至った。

右の、本件合意の成立の否定の結論は、後述の審理不尽と経験則違背にもとづく非常識な判断過程もさることながら、本件合意の法的意味すなわち被告の本件合意に関する抗弁の法的役割(=「使用許諾」の意思表示の存在で足り、それを越えた「事業の分割や分担」の合意の存在についてまでは主張不要)を原審が的確に理解・把握しておらず、そのため右に記載したような長文で、当該抗弁をして「事業分担の合意」との過つた位置付けで規定し判決文上もその表示をしたことに起因して惹起誤導された面を看過することはできない。

龍村の織物「事業の分割・分担」という複雑な要素と不確定要因をはらむ問題についての合意・契約は、そうそう簡単容易に成立するものではないかも知れない。しかし、単なる柄・模様の使用の許諾は別である。龍村家における乙第一号証作成当時までの被告の龍村家での働きや父平蔵との直弟子関係等、当時の被告の地位立場と周囲の環境状況に照らせば、父平蔵はもとより、弟の徳も元も兄の謙も、およそ被告に対し「龍村の織物」の柄・模様の単なる実施すらこれを許諾しないとは、面と向かって言うことは勿論、そのように思うことさえあり得なかったことであるからである。

3、被告は、いわば正式な改まった「主張の変更」という形式では、乙一についての抗弁を、事業の分割や分担の合意が成立したとまでは主張せず、単なる使用許諾の合意の成立を主張するに止めるとは言わなかったかも知れないが、本件合意の抗弁の本件訴訟における意味が、使用許諾の合意ないしその再確認の主張だけにあることは、左記書面やその他で何度も述べてきたところである。

原判決は、被告の抗弁、すなわち柄模様の実施許諾の合意の存在とその原告らの受け継ぎ、との単純な主張を正解せず、事業分担の合意にまで本件合意を拡大してその成立不成立を論ずる過ちを犯した。被告の抗弁の法的評価を誤ったと言わざるをえない。

「三 あらためて言うまでもなく、被告・控訴人がこの書証を提出した趣旨は、この、初代平蔵の代人たる前沢源造、龍村謙、龍村徳と被告・控訴人という当時の龍村家の首脳の間で作成された「お墨付き」でもって、被告・控訴人が、当時以前につくられた「龍村の織物」あるいは「その柄・模様」を、「(当時)所謂第二部商品(大量生産品)」すなわち手機織りの高級な美術織物でない動力機織りの分野の織物に使用することを許諾された(あるいは、もともと有していた使用権をこのお墨付きで再確認された)と主張し立証せんがためにほかならない。

また、被告・控訴人は、ここで事業分割の合意ができたのであるから、原告は「所謂第二部商品(大量生産品)」を製造・販売してはならないのだ、と言う積もりも全く無い。初代平蔵の精神に基づき、原告は原告で、手機による超高級美術織物から動力織機による大量生産品まで、およそ「龍村の織物」はこれを手広く世に問えばよいのである。

被告・控訴人が本件訴訟において唯一言いたいこと、否、声を大にして叫び訴えたいことは、原告は、この合意以前からあった「龍村の柄・模様」を被告・控訴人が動力織機による大量生産品に使用することを禁止することはできない、そんな権利は原告には断じて無い、という唯一点にある。」(被告の原審平成七年一二月一九日付準備書面(3)の三丁以下。)

三、原判決の経験則違背、理由不備・理由そご

1、前記のとおり原判決は、「被告主張のような合意」が「確定的に成立」したとは「断じ難い」と判示した。

原判決が言う「被告主張のような合意」が、原審の被告の主張についての法律的評価の誤りすなわち法令適用の過誤に基づき規定された独自の概念であることは前述のとおりであるが、『確定的に成立』との概念も、原判決独自のいわば創出概念であって、この判決文自体で、すでに理由不備・理由そごと言うべきである。

広辞苑によれば、確定とは、はっきりと決まること。確かに決まること。定まって変動しないこと。とのことであるが、

法律行為の成立・不成立を論じる場面で「確定的成立・不確定的成立」との表現が用いられる例は無いはずである。

法律行為の効力や効果について、その有効・無効等を論じる場面では、例えば「追認とは・・・取消しうべき行為を確定的に有効にする第一の事由である。」(我妻・新訂民法総則三九八頁)とか、「法律行為に条件が付けられると、法律効果の発生または存続が不確定となるから、法律効果が確定的に発生しまたは確定的に存続することを必要とする法律行為には、条件をつけることは許されない。(同四一四頁)」などと「確定的・不確定的」の用語が用いられるし、またその意味も明瞭である。しかし成立に確定はなじまない。「法律行為の成立とは、法律行為と認めることのできるものが成立することである。法律行為の成立要件は、当事者・目的及び意思表示の三者であって、この一つを欠いても法律行為は成立しない。そして、成立しなければ効果を生ずる余地もない。」(我妻・新訂民法総則二四二頁)

合意ないし法律行為の成立は、「する」か、「しない」か、のいずれかである。成立に、確定的成立と不確定的成立の二種類があるわけではないし、不成立に、確定的不成立と不確定的不成立の二種類があるわけではない。まして、その二種類のいずれであるかによって、法律効果に差異があるわけでもない。

2、原判決は、「被告主張のような合意が確定的に成立したとは断じ難い」とした根拠として、甲六五の1、甲七五、原告ら代表者龍村元の原審供述の各証拠のほか、次の〈1〉から〈4〉の四点を挙げる。

以下、各判示を一括掲記して、その後に個別に批判する。

(なお、右の各証拠中の謙や元の供述が信用できないものであることについては、原審で詳細に述べたところである。)

〈1〉 訴外謙と被告との間には、乙一に記載された事項以外にも解決されるべき問題があり、訴外源造は、これらを全体的に解決すべく仲介の労をとっていたものと認められるが、それらの問題全部について、右書面に記載されている昭和二六年三月二五日から同年四月二日までの間に合意が成立したとは認め難いこと、そうすると乙一に記載されている事項については、一応合意に達したとみるにしても、それが右のように全体的合意の成立の認め難い状況でなされたものであることを考えると、果たして、確定的なものであったかどうかについては疑問をはさむ余地があること。

〈2〉 少なくとも乙一に記載されている事項のうち、関係者の署名があるものについては、その関係者の確定的な意思が表示されているとみるべきであるとしても、本件合意の成否に密接に関連する事項が記載されていると認められる(昭和二六年四月一日のところに書かれている、「一、所謂第一部商品即帯地を中心とする美術織物の製造、販売は龍村謙自身で行う。一、所謂第二部商品(大量生産品)の製造、販売は龍村商工株式会社で行う。」旨の記載部分)には、訴外謙と被告のいずれの署名もなく、右部分に関する合意の成立を認定するには多大の疑問が残ること。

〈3〉 右時点において被告のいう本件合意が成立していたのであれば、被告としては、その後時を経ずして初代平蔵や訴外謙の考案した模様を使用して機械織物の製造販売を開始していたはずであり(被告はそのように主張する)、そうであれば、本件において、今少し、その状況が資料により裏付けられ明らかにされてもよいと考えられるのに、そのような事実を認めるに足りる証拠は十分でないこと。

〈4〉 もし、訴外謙と被告との間で被告のいう本件合意が成立していたとすれば、その後、訴外謙や龍村元との間に新たな紛争が生じたとも認められないのに、何故、前示のような事柄すなわち昭和三一年に初代平蔵が上京した際の被告と龍村徳・龍村元とのいさかい、同年の新聞広告、昭和三四年の明渡訴訟が起こったのかにわかに理解し難いものが残ること。

3、前項の〈1〉について

この部分の判決文は、理解が困難であり、訳が解らない。「一応合意に達したとみるにしても・・・全体的合意の成立の認め難い状況でなされたものであることを考えると、果たして『確定的なもの』であったかどうかについては疑問をはさむ余地がある」など、合意が成立したと認定しているようでもありいないようでもある玉虫色の判決文である。

確かに、当時解決を要した問題は、乙一に記載された事項の他にもあったようであるが、それらの問題全部について、この乙一作成の際の会合・会談の冒頭に、議題としてあらかじめ設定されたわけではなく、また問題全部について合意・解決のなされることが個々の合意成立のための前提条件になっていたわけでもない。

『問題全部の全体的解決』など、理想論ではあるが、本件事案に限らず、行財政改革や司法改革などに典型的に見られるとおり、真に解決すべきいかなる問題にあってもたやすく達成されるものではない。実際に解決できること、合意できることから、一歩一歩積み上げて行くしか途は無いのが通常である。

原判決のごとく、全体的合意が成立していないから個別合意の成立は不確定である、との論理が通るのなら、世の約束や契約の大部分はことごとく無効どころか「不成立」ということになってしまうであろう。

原判決は、本件の乙一に記載された個別合意が訴外源造の仲介の労によって記載されたものであることは認めているが、源造の立場・地位についての原審の理解内容は示していない。

被告の主張するとおり、源造は初代平蔵の妻寿美の実弟で被告や謙の母方の叔父であって、初代平蔵の代理人として初代平蔵の意思を体して、乙一の作成やそのための会合への出席をなしていた者である。この前沢源造が初代平蔵の依頼によって尽力奔走していたことについては、龍村元自身も東京地裁の事件の平成二年九月一四日の本人尋問の中で認めていることである(同調書七一項)。被告や謙の父である初代平蔵の同人らに対する生前当時の権威と影響力の強烈さを考えれば、この源造の筆になる乙一記載の合意事項が不成立であったとなど、到底言えることではないものなのである。

4、2項の〈2〉について

この判示は、乙一の検討不足=審理不尽からもたらされたものである。

乙一の各合意は、全部で六項目記載されている。

すなわち三月二五日に記載されているものは、検査役を宮野省三氏に依頼する件、龍村織物会社との交渉の件、高島屋との取引開始の件、の三つの事項であり、四月一日に記載されているものは、高島屋との取引に関する納入製品の区分の件、検査役を複数とする場合の人選の件、南禅寺邸の家賃収入の件、の三つの事項である。

甲七五の龍村謙の供述中でも、この三月二五日に合意され記載された三事項の合意の成立は争っていないところであるが、各人の署名は、三事項三条文が列記された次に一か所あるだけで、個々の条文毎に関係者の署名がしてあるわけではない。

四月一日の、本件合意に関する部分だけについて、その直後に謙と被告のいずれの署名もないことを理由にして、その成立に疑問を投げかけるのは片手落ちである。

この条文は「名義」の文字が抹消されていて、筆記後に異論が出て訂正されたことが明らかであるし、筆記者は被告ではなくして前沢源造であり、また徳は翌日京都においてこの合意文を承認する旨を記しているのである。

前述のように、前沢源造は後ろに居る初代平蔵の意思を帯してこの合意筆記の場に臨んでいた者である。

謙といえども、源造すなわち平蔵の意思には絶対に逆らえなかったのであるし、またそもそも謙・被告両名の間に合意が成立もしないのに両名の叔父の源造が両名の意向を無視して強引に先ず筆書きしてしまう道理もない。

謙は、甲七五の日本橋織宝館の明渡訴訟の中で、判示に沿う供述をしているが、この訴訟は乙一号証が作成された昭和二六年三、四月の時期から八年も経ってから起こされた訴訟であり謙のこの供述は被告に対する敵愾心が最高潮に達していた昭和三七年のときの供述であって、信用性が無い。

5、2項の〈3〉について

ここで原判決は、本件合意が成立していたのであれば、その後時を経ずして初代平蔵や謙の考案した模様を使用して機械織物の製造販売を開始していたはず・・・と言う。

しかし被告はもとより、当時の謙や前沢や徳も無論、本件合意が成立したからといって、それでもって直ちに、龍村家の事業から独立した別個の「被告の事業」を進める予定でいたわけでは決してない。大阪では前沢源造が、東京では被告がそれぞれ月間一千万円ほど宛ての注文をとって、それを龍村織物ないしは龍村家に廻す予定でいたものである。

被告が、博多帯の話を謙のところに持ち込んだのもそのためである。しかるに謙は、高島屋からの博多帯の注文について自分が取るものを被告が横取りしたとの邪推をするなどしたため徐々に相互に溝が生じ、それが次第に拡張していったので、被告は、原判決も七七頁以下で叙述しているとおり、早くから、室内装飾裂地やカーテン、テーブルセンターの他、被告第四ないし第七製品の製造販売をするに至ったものである。

また、根本的に言って、世上、ライセンスによって直ちにこれを実施する場合もあれば、ライセンスを取得したものの不実施のまま寝かせておく場合もよくあることである。

6、2項の〈4〉について

この判示部分は、第一審判決をやや薄めて表現しただけのものであり、同判決同様、審理不尽と理由不備のそしりを免れない。

本件合意はあくまでも立派に成立しているのである。

赤の他人間の合意であれば、相互に抑制心が働いて遵守されていたはずのものが、なまじ兄弟間の合意であったが故に、時の流れの中で、あるときは感情的反発の赴くままに、また主として殆どは原告側の都合で、本件合意が無視され、またその都合で、本件合意に違反する事事がなされただけである。

原判決は、成立した合意の、原告らによる一方的な無視ないし破棄の事実に依拠して、合意はそもそも初めから成立していなかったとの非論理的な結論を導いているのである。その非論理性を糊塗するために「確定的に成立したとは断じ難い」との不合理で奇妙な、感覚的としか評しようのない独創的文章を使用したものである。

第四、著作権に関する被告の抗弁について

一、原判決は、そもそも旧不正競争防止法第六条(無体財産権の行使行為の除外規定)がそこにかかげられた特許権等の行使行為を適用除外の対象としていたのは、それらの権利が国(特許庁)の審査、登録といった公的な手続を経て発生するものであることを考慮してのことであると考えられるのに対し、同条が著作権法上の権利行使については、これを適用除外の対象としていなかったのは著作権が著作物の創作により、格別、審査、登録等の公的な手続を経ないで発生するものであり、その権利発生の過程を異にすることを考慮してのことであると考えることに照らすと、著作権の権利行使に対しては旧不正競争防止法第六条を類推適用する余地はなかったとするのが相当であるとして、被告の抗弁を斥けた。

二、しかしながら、原判決の右判断は、旧不正競争防止法第六条の解釈適用を誤ったのであって、判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背がある。

1、旧不正競争防止法第六条の立法趣旨について、第六五回帝国議会貴族院議事速記録によれば、特許権・実用新案権・意匠権および商標権などの諸権利は、不正競争防止法の建前からすれば正当な権利と言えないものであっても、国(特許庁)が一応正当な権利と認めて与えたものであるから、それらの権利の行使を直ちに不正競争防止法によって取り締まるのは穏当を欠くと考えられたためと説明されている。すなわち、右第六条は、国が一応正当な権利と認めて与えたものであれば、形式的に不正競争行為に該当する行為であっても当該権利の行使として認めるのが相当であると認めているのである。そして、国が一応正当な権利として挙げたものが特許権等の工業所有権であって、そのいずれも排他的・独占的権利である。排他的・独占的権利の行使は、不正競争防止法の保護法益の認定が例えば占有というような客観的事実に基づいて確認されるものでなく、「周知著名」であるか否かという主観的な判断に左右されることもあり、形式的に不正競争行為に該当しても、差止めの対象の行為の排他的・独占的という権利の性質の故に差止め得ないのである。従って、排他的・独占的権利であれば右工業所有権に限定する理由は何ら無いのであって、他の排他的・独占的権利にも類推適用されるべきである。

ここで著作権について検討してみるに、著作権は国が法律によって正当な権利と認めた排他的・独占的権利であって、右各工業所有権と効力に差を見出し得ない権利である。しかるに原判決は右工業所有権が国(特許庁)の公的な手続を経て発生するのに対し、著作権が著作物の創作により公的な手続を経ないで発生するものであるという、権利発生の過程を異にすることを根拠に、右第六条を限定解釈し、著作権の行使であっても不正競争行為として差止めの対象になると断じた。しかしながら、不正競争行為として差止めの対象となるか否かは、対象になる権利行使行為の効力によるべきであって、その発生の過程によるべきでない。右工業所有権はその成立に新規性・進歩性という判断が必要であるという理由で国の公的手続を要するのであり、他方著作権は何ら国の公的介入を経ることなく絶対的な権利としてその成立を著作物の創作に見出したものであって、発生の過程をみても、両者に何ら優劣を見出し得ない。

ところで、新不正競争防止法では右第六条を削除したが、その理由は、右第六条が当初の立法趣旨と異なった運用、すなわち、工業所有権の保護法益と不正競争防止法の保護法益が競合した場合、工業所有権の行使が権利濫用の場合があり、一律に前者を優先させる運用にはなっておらず、事案ごとにケースバイケースで判断する方法が完全に定着したためである。すなわち、右両法益が競合した場合、「両法益の調整は権利の行使は濫用にわたらない限り許されるという一般原則により行われる」ということが確認されたにすぎない。工業所有権に限らず著作権の行使も濫用にならない限り許されるのである。

以上のとおり、著作権の権利行使について、旧不正競争防止法第六条を類推適用する余地は無いとした原判決は、右法の解釈適用を誤り、判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背があると言うべきである。

2、被告は、本件各模様は帯・布などの実用品に利用され、量産されることを目的とするいわゆる応用美術に該当するが、同時に感情的表現を顕現させ純粋美術としての絵画に該当し美術性を具備しているから、美術の著作物であると主張し、更に、原告各製品の模様が周知性を取得するはるか以前に発生した著作権の権利を著作権者より許諾され、もしくは原告各製品の模様が周知性を取得するはるか以前に発生した著作権を原告各製品の模様が周知性を取得するはるか以前に著作権者より相続して複製したにすぎない、と主張してきたが、原判決は右被告の主張を全く判断せず、右のような判断をしたのであって、審理不尽・理由不備の違法があったと言わざるを得ない。

第五、原典の複製・公知公用の模様の使用に関する被告の抗弁について

一、原判決は、原典の複製・公知公用の模様の使用に関する被告の抗弁について、そもそも不正競争防止法二条一項一号の保護法益は商品表示の出所表示機能であり、商品表示の創作性ではないし、しかも、前示のとおり原告第四ないし第七製品の模様はいずれも単なる原典の複製・公知公用の模様の使用ではなく、その主張の基礎となる事実関係が認められないから採用できないと判断した。

二、しかしながら、原判決の右判断は、不正競争防止法の保護法益の解釈を誤り、原告に不正競争防止法の保護法益を認めたことは、判決に影響を及ぼすべき明らかな法令違背があったと言うべきである。

1、被告は、原判決が事案の概要で示しているとおり、原告の保護法益について、次のとおり述べた。

原告第四、第六および第七製品の模様は、いずれも正倉院に伝わる古代裂の模様と同一であり、同第五製品の模様は前田家に伝わる名物裂の模様とほぼ同一である(別紙第四ないし第七目録参照)。すなわち、原告美術織物の右製品の模様は、「古代裂や名物裂(原典)の模様の複製にすぎない。そして、古代裂や名物裂のような公知公用の模様は、いかなる者もこれを複製し得るものであり、特定の者に、その複製や模倣を独占させ、その者の固有の権利とすることは、著しく正義に反し断じて許されない。

すなわち、古代裂や名物裂の模様のように古来日本に伝わる公知公用の模様は万民の共有財産であり、特定の者に独占させることは著しく不公正で正義に反すると主張した。

2、これに対し原判決は前記のとおり判断したが、被告は単なる公知公用の模様が不正競争防止法の保護の対象にならないと主張しているのではなく、古代裂や名物裂の模様は万民の共有財産であって、特定の者の排他的独占の対象とし、これを他の者に使用させないとすることは、著しく正義に反し許され得ないと主張しているのである。原判決は被告の主張を正確に認定していない点において審理不尽・理由不備の違法がある。

3、更に、原判決は前示のとおり原告第四ないし第七製品の模様は、いずれも単なる原典の複製・公知公用の模様ではないと判断したが、「前示」と思料される第四、一、1、三、(3)では、原告第五製品および第七製品の各模様については判断しているものの、同第四製品および第六製品の両模様については何ら判断していない。この点においても原判決には審理不尽・理由不備の違法がある。

4、そこで、原告第四製品および第六製品の各模様を検討すると、前者は古代裂「赤地花文錦」と全く同一であり、後者は古代裂「紫地山羊花卉文錦」と全く同一である。

しかるに原判決は、原告第四製品および第六製品の各模様について全く判断することなく、同第五および第七製品の模様のわずかな相違点を殊更に強調した判断に安易に同調して「単なる原典の複製・公知公用の模様の使用ではない」と判断したのであり、審理不尽・理由不備の違法があったと言わざるを得ない。

三、ところで、被告は、原判決が事実の概要で示しているとおり、被告第四ないし第七製品の製造について、次のとおり述べた。

原告美術織物の右各製品に対応する被告第四ないし第七製品の模様は古代裂や名物裂の模様とほぼ同一である(別紙第四ないし第七目録参照)。すなわち、被告の右製品の模様は、古代裂や名物裂の(原典)の模様の複製にすぎない。しかるところ、古代裂や名物裂の模様は、創作者が所有していた著作権等の権利が消滅していることが明白なものであり、長期にわたり多くの者が繰り返し複製し使用してきたものであって、いわゆる先行技術の使用・実施にすぎず適法なものであって、これを差止めることは実質的正義に反し到底許されない。

前述のとおり、古代裂や名物裂の模様は万民の共有財産であり、いかなる者も複製し模倣しうるものである。仮に、特定の者がその複製や模倣を独占することができるとするならば、他の者は古来日本に伝わる模様は全く使用できないばかりでなく模倣もできないことになり、日本文化の保存、承継、発展に多大な障害となる。万一右独占者が右模様を使用しなくなった場合、あるいは承継者の不在により右模様の使用継続が不可能となった場合、日本国の財産を保存し、承継し、発展させる途が杜絶してしまうことになる。特定の者にその複製や模倣を独占させ固有の財産とすることは絶対に許されるべきでない。従って、仮に、原告に不正競争防止法の保護法益を認めるとしても被告に対し右模様の使用を差止めることはできないと言うべきである。

しかるに原判決は被告の右主張に対し全く判断をしていない。

原判決には、審理不尽・理由不備の違法があったと言わざるを得ない。

第六、商標権侵害について

一、原判決は、被告は、昭和六〇年秋以降、「傳匠名錦 龍村晋」と題する帯のカタログに被告標章(一)、(二)を附し、これを展示又は頒布していたことが認められるとし、被告標章(一)、(二)のうち「名物(めいぶつ)」は名物裂に由来することを示す一般名称であり、被告標章(一)のうち「錦(にしき)」および同(二)のうち「金襴(きんらん)」は織物の種類を示す一般名称であることを認め、被告標章(一)のうち取引者・需要者の注意を引く要部は「有栖川鹿手」であり、同(二)の要部は「二人静」であって、しかも、右各要部は、それぞれ原告商標(一)、(二)と称呼を共通にするから、被告標章(一)、(二)は、それぞれ原告商標(一)、(二)に類似するものであり、被告標章(一)、(二)を被告製作にかかる帯のカタログに附している被告の行為は、原告商標(一)、(二)に類似する商標を原告商標(一)、(二)の指定商品について使用する行為に該当すると判断した。そして、「有栖川錦」とは前田家に伝わる名物裂の中で独自の幾何文様を有するものの名称で、「鹿文様」、「雲竜文様」および「馬文様」の三種類があること、「二人静」とは足利義政ゆかりの同題名の能に使用される衣装の模様を表わす名称であることが、いずれも名物裂の研究者等の専門家の間でよく知られていることが認められ、「鹿手」が鹿の模様を示す語として使用されていることが認められるが、本件全証拠によるも、「有栖川鹿手」および「二人静」なる表示(標章)が多数の織物製造・販売業者の間で自由に特定の図柄・模様からなる織物について使用されてきたとまではいえず、右各表示(標章)が特定の織物の普通名称であるとは認められないし、また、右各表示(標章)が不特定多数人が自由に使用し得る意味における商標の慣用商標ないし商品に附された慣用の商標であるとも認められず、原告商標(一)、(二)が、いずれも古来から日本に伝わる裂地の図柄・模様の由来を説明・表現するための普通名詞ないしは慣用的表現であるから、商標登録の要件を欠く旨の被告の抗弁は採用できないと判断した。

二、しかしながら、原判決の右判断は、被告の主張を正確に認定しておらず、審理不尽・理由不備の違法がある。

すなわち、被告は原審において、

1、被告標章目録の被告両標章の「名物」「錦」「金襴」「有栖川」「鹿手」「二人静」の語について、「名物」なる語は名物裂に由来することを示す一般名称、「錦」および「金襴」なる語は織物の種類を示す一般名称、「有栖川」なる語は名物裂の中で独自の幾何文様を有するもの、「鹿手」なる語は鹿の模様を示す名称、「二人静」とは同題名の能に使用される衣装の模様を示す名称であり、いずれも、織物においては模様を表わす語であり、一般取引上普通に使用されるものであると主張し、

2、被告は被告両標章を、いずれも出所表示としての商標として使用しているのではなく、商品の模様の名称・その由来の説明をするため、古来より使用されてきた方法により、名物裂に由来する布であることを示す「名物」の語、模様を表わす「有栖川」鹿手」「二人静」の語および織物の種類を示す「錦」「金襴」の語を各々結合して使用しているのである。

すなわち、被告両標章はいわゆる織物の説明文に相当するものであり、その使用態様は自他商品を識別するという機能の面において使用されているのではない。従って、原告龍村織實本社は本件両商標権をもって、織物の説明文である被告両標章の使用を差止めることはできないと主張した。

3、そして、原告商標は、いずれも、

(1) 古来から日本に伝わる裂地の柄・模様の由来を説明・表現するための普通名詞ないしは慣用的表現であり、何ら特別顕著性を有しないものであり、

(2) 商標法は、公益的見地から特定人に商標権として独立させることが適当でない商標を登録拒絶の理由としており、誤って登録されても商標権の効力が及ばないものとしているのであるから、このような商標権については、無効審判の確定をまたずとも、類似標章を使用する行為が権利侵害となるものではないと主張した。

4、原判決は被告の右1および3(1)の主張に対し、前述のとおりの判断をしたが、被告は、「有栖川鹿手」および「二人静」なる表示が特定の織物の普通名称であると主張しているのではなく、右両表示が前述のとおり特定の図柄・模様を示す語であって、特定の図柄・模様を示す語として一般取引上普通に使用されて特別顕著性を有しないものであるから、原告龍村織實本社一人に商標権として独占させることはできないと主張しているのである。特定の模様である「矢絣」の語を特定の者に商標権として独占させることはできないのと同様である。

原判決は審理不尽の結果、被告の右1の主張に判断をしていない。

5、更に原判決は被告の右2の主張、すなわち被告両標章は、商品の模様の名称・その由来の説明をするために、古来より使用されてきた方法により示したものであって織物の説明文に相当するものであるという主張、および右3(2)の主張、すなわち公益的見地から原告龍村織實本社に本件商標権を独占させることが適当でない場合に該当するという主張に対し、何らの判断をしていない。

原審における右3(2)の主張は以下のとおりである。

本件両商標は、商品区分第一七類の「帯その他本類に属する商品」を指定商品とするものであるが、そのうち和服を除く被服(例えば洋服、くつ下、帽子等)・布製身回品・寝具類に本件両標章を使用する場合は別にして、和服(特に帯)のうち、例えば「有栖川」の模様に「馬」の模様のあるものでも「有栖川鹿手」なる本件商標を付して使用し、「二人静」「大牡丹」「暈繝」の模様のあるものに「有栖川鹿手」なる本件商標を付して使用した場合、右商標に接した一般需要者取引者は混乱しその品質を誤認すること明白であり、公益的見地から到底許すことはできない。「有栖川鹿手」は「有栖川」の模様に「鹿」の模様のあるものだけに使用し、「二人静」は「大牡丹」や「暈繝」の模様の商品には決して使用されないのである。何故なら、「有栖川」「鹿手」「二人静」はいずれも模様を表す語であるからである。「有栖川」に「馬」の模様のある帯や裂地にも、「大牡丹」や「暈繝」の模様のある裂地にも「二人静」なる商標を付して使用することは絶対あり得ないし、仮に、このようなことがあるとしたならば、右商標に接した一般需要者取引者は混乱しその品質を誤認すること明白であり公益的見地から到底許すことはできないのである。

原判決の右判断には審理不尽・理由不備の違法があったと言わざるを得ず、破棄を免れない。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例